コンビニが開いた小売業の長時間営業
かつて東京―大阪間の新幹線がまだ3時間10分かかっていた時代、大阪(関西)出張によく6時始発の「ひかり」を利用していた。午前中2社、午後2社大阪本社のチェーンストア本部で取材したあと、夕方5時ごろから2時間ほど店舗を見て回って、弁当を買いこんで8時過ぎの新幹線に乗ると11時過ぎに東京駅着、自宅には12時前後には帰り着くことになる。
夕方以降あわただしいスケジュールになってしまうのは、当時スーパーマーケットの閉店が7時もしくは8時と早かったため。いまと比べれば休日も多かったから、店舗回りをしても休日に当たって、売場を見ることができないこともあった。これは1973年に大店法(大規模小売店舗法)が施行され、近隣小売店舗の生活権を守るため、大型店の売場面積や営業日数、営業時間などが規制されるようになったことも影響している。そこで多くのSMチェーンが大店法の規制対象外だったアンダー500m²(約150坪)の小型スーパーの開発に乗り出したが、一部の例外を除いてほとんどの小型スーパーは採算ラインに乗らず撤退を余儀なくされた。
スーパーマーケットの出店が法規制によって厳しくなるなかで、1980年代に入って順調に店舗数を増やしていったのがコンビニだ。日本にコンビニがいつ登場したかは意見の分かれるところだ。1960年代後半には関西を中心にKマートが店舗展開していたが、同店はミニスーパーに近い業態であり、コンビニではなかったという識者も多い。東京でもローソンに吸収された、サンチェーンのほうが展開が早かったが、セブン-イレブンがその後のCVS業態の標準モデルになったことから、1974年5月のセブン-イレブン豊洲店のオープンが、日本のコンビニの始まりと考えていいかもしれない。
その後のCVS業態の成長ぶりは周知のところだが、同業態が日本の小売業にもたらした点で大きいのは、「年中無休・長時間営業」という、それまでの日本の小売業にはなかった機能を持ち込んだこと。だからこそ「セブン-イレブンいい気分!あいてて良かった」やローソンの「マチのホットステーション」といったキャッチフレーズがインパクトを持ち、コンビニが日本人の暮らしに急速に浸透していったのだ。
スーパーマーケットも年中無休・長時間営業が一般化
1980年代になって本格的に成長を始めたCVS業態だが、この時代まではオイルショックがあったとはいえ、日本経済全体がまだ伸びていたため、SM業態にそれほどの危機感はなかった。それよりもSMチェーンにとっては、大店法によって思うように出店できないことのほうが問題だった。ところが1991年にバブル経済が崩壊、日本経済のデフレ化が始まり、合わせて1990年初頭には日米構造協議などの外圧も増した。その結果、個人消費が低迷、一億総中流時代があっさり崩れ、格差社会の兆しが芽生え始める。スーパーマーケットも、売上が前年割れする既存店が増え、新店の出店がないチェーンは必然的に売上が縮小する時代に突入した。
したがってこの頃からスーパーマーケットの休日の削減、長時間営業へのシフトが目立つようになる。それ以前はコンビニの年中無休・長時間営業は他業態のことと割り切っていたのが様相が一変する。それだけ個人消費の不振が進むなかで、食品需要の業態間の奪い合いが熾烈になってきたのだ。当然、消費者からすればスーパーマーケットの使い勝手は格段に良くなった。1980年代までは夜8時頃には営業が終わってしまうため、働いている主婦にすると、ちょっと油断すると買物できないことも多かった。夜8時、9時の単身赴任のサラリーマンなど、そもそもスーパーマーケットのターゲットには想定されていなかった。また休日も正月元日を除いて年中無休という店舗が増え、正月三が日の食素材を買い置きする必要もなくなった。
しかし、スーパーの場合、長時間営業がどこまで消費者の生活にプラスに働いたかという点については疑問符がつく。長時間営業がテーマになった1990年代初頭には、24時間営業を含めて夜中の24時、25時まで営業する店舗が増えた。ただそれほど遅くまでオープンしていても売上が伴わないことから、最近は朝は9時にオープンし、夜9時もしくは10時頃までの12〜13時間営業の店舗が多くなっている。またここへきて人手不足が常態化、CVS業態や外食業態との人材の奪い合いが続いており、時間給がアップ、長時間営業はますます厳しくなっている。
スーパーマーケットの長時間営業には、本質的なウィークポイントも潜んでいる。それは仮りに閉店を夜10時にしていたとしても、ニーズの高い弁当や寿司、揚げ物などは夕方6時から7時の製造が最後になり、閉店直前に駆け込んだとしても欲しいメニューが揃っていないこと。つまり翌日まで賞味期限があり、仕越しができる生鮮食品はまずまず揃っているが、賞味期限の短い総菜やベーカリーは、夕方製造した商品を値引きしながら、廃棄を最小化するように販売しているだけである。これでは閉店直前の総菜ユーザーにとっては、ただ店が開いているだけの状態になってしまう。競合のコンビニが、弁当や総菜の配送頻度を上げ、チャンスロスを最小化していったのと比べると、スーパーマーケットの長時間営業にはほとんどイノベーションは見られない。
夜8時から10時ぐらいの閉店までの営業時間を活性化するためには、マークダウンした商品を買ってもらうだけではなく、弁当、どんぶりなどの人気商品10種類前後は、注文に応じてその場で調理して提供するぐらいのシステム開発があってもいいのではないか。
営業時間の多様化による新しい需要開発
スーパーマーケットの長時間営業が日本人の暮らしに変化をもたらした点もある。コンビニの登場以来、単身者の食事時間が極端にいえば24時間化したことは誰しも異論はないだろう。スーパーも長時間営業が標準化したことで、今度は家族の食事時間にまで波及した。さすがに24時間化したわけではないが、最近は夜9時頃スーパーへ行くと、しっかり食材を買いこんでいるカップルや家族連れを目にするようになった。つまり、昔であればスーパーが閉まってしまったため、冷蔵庫の残り物で適当に食事を済ませていた家族が、最近は少し遅くなっても、しっかり材料を買い、家で手づくりする機会が増えているのだ。このような現象に関しては、大人はともかく子どもまで食事時間が遅くなるのはいかがなものかと、眉をひそめる向きもあるが、それほど目くじらを立てることでもない。それよりもスーパーの長時間営業が新たなライフスタイルのきっかけになったことのほうが意味は大きい。
スーパーマーケットの長時間営業で、より重要なことは、各店舗の商圏特性に合わせた営業時間設定にすることだ。もちろん開店時間を朝10時から9時に前倒ししたり、イオンリテールのように7時開店にしているチェーンもあるが、まだまだ柔軟性に乏しい。例えば通勤客が早朝から店前の道路を通る店舗では、早朝6時開店にしてパンとコーヒー、おにぎりとみそ汁の朝食をイートインコーナーで提供して、朝食市場を開拓するのも一つの方法だ。そうした態勢を整えておけば、通勤客だけではなく、朝の散歩を習慣にしているシニア層の取り込みを図れる可能性もある。その代わり閉店時間を夜8時にすれば、営業時間は14時間に収まる。逆に朝の立ちあがりの遅い商圏では、開店を11時にして閉店時間を25時まで延長、深夜の顧客を狙う手もある。商調協で営業時間帯まで決められている店舗では再協議が必要になるが、その手間を厭っていては何事も前に進まない。
執筆:山口 拓二
第10回<予定>「農産物直売所ビジネスの現在 そして未来」