食のトレンド文庫「スーパーマーケットの食トレンド」むかしはいまの物語

【スーパーマーケットのマーケティング事始 第15回】フードからミールへ ― 進化するミールソリューション

ミールソリューション提案から20年が経過した

惣菜販売店今では日本のスーパーマーケットでも取り入れるチェーンが増えている「ミールソリューション」。これはアメリカ食品マーケティング協会(FMI)の1996年総会のコンベンションで発表されたのが最初だった。当時アメリカでは女性の就業率がアップ、家庭で料理を一から作る代わりに、デリ(惣菜)や下ごしらえされた食品を買い求めて手早く食事を作る家庭が増えていた。そのため食事の素材をメーンに販売しているスーパーマーケットが苦戦していた。その苦境からの脱出策として提案されたのが、対面デリやセルフデリを強化した新タイプの売り方提案である「ミールソリューション」だった。日本語に直訳すると「食事問題の解決」になる。

この「ミールソリューション」の考え方は、アメリカで発表されるやいなや、日本のSM業界にも瞬く間に浸透した。1996年前後の日本では、バブル経済が崩壊し、金融業界でも倒産が発生するなど社会不安が増大していた。食品スーパーの売上も厳しい状況にあり、多くのSMチェーンではSMの原点回帰を合言葉に青果、精肉、鮮魚の生鮮3品の再強化を掲げていた。つまり当時のSMチェーンは、売上不振を伝統的な「おかずの素材」の再強化で乗り切ろうとしていたのだ。

もちろん中には、大阪のニッショーストア(現阪急オアシス)、広島のフレスタ、首都圏のヤオコーのように家庭での調理の簡便化を図るために、デリや半調理食品に力を入れミール提案を意識しているチェーンもあったが、これはあくまで少数派。今では想像もできないが、1990年代半ばまでの日本のSMチェーンは「毎日のおかず屋」であり食事の素材を提供する店舗が主流派だった。

サラダその流れを変えたのが、冒頭で触れたFMIでのミールソリューション宣言だ。その底流には高度成長期のように世帯主の収入が増えず、21世紀に入って日本でも世帯収入を補填したり、自己実現のために女性の就業率が着実にアップしていったという事情がある。

それを象徴するのがカット野菜の売上増だ。キユーピーが51%、三菱商事が49%出資して1999年から事業を始めた株式会社サラダクラブの売上高は、初年度(1999年11月期)が6,100万円だったが、2016年11月期には263億円まで拡大、絵に描いたような右肩上がりになっている。洗わずに食べられる同社のパッケージサラダは、仕事で忙しい女性(主婦)の増加とともに、手早くサラダを用意できる利便性が評価されて着実に成長したのだ。最近ではサラダクラブのパッケージサラダだけではなく、スーパーやコンビニで販売しているカップサラダもあり、すぐ食べられるパッケージサラダの売上はかなりの規模に達しているのではないかと思われる。

ミールソリューションがもたらした変化

ではミールソリューション以前と以後では何が変わったのだろうか。端的にいえば日本のスーパーマーケットの食品の販売において、文字通り「ミール=食事」が意識されるようになったことだ。少なくとも1990年代初頭までは、スーパーマーケットの惣菜はあくまで補助的な商品だった。夕方、主婦が食品スーパーの買物に行って食卓をイメージしたとき、予定していた品目だけではちょっとテーブルが寂しいかなといったとき、プラス一品にエビフライや唐揚げが買われていた。それがミールソリューション以後は、メーンが惣菜のロースカツになり、せめて付け合わせのキャベツだけは自分で刻もう、煮物を一品つけようということになっていく。そして時代が進むと、付け合わせのキャベツさえパック商品に取って代わられていく。

またミールソリューションが話題に上るようになって以降、それまでのメニュー提案がレシピ提案になったのも、大きな変化の一つといえるかもしれない。これはメニュー提案では料理をイメージできても、よほど料理に習熟している人でない限り調理できないからだ。レシピ提案であれば手順にしたがって誰でも調理できる。

おでんただ、これは「おかずの素材」にこだわりすぎたスーパーマーケットの特殊性かもしれない。それはコンビニをみればよくわかる。コンビニでは当初から素材ではなく食事を意識して弁当やおにぎり、サンドイッチなどを販売、売上を伸ばしてきた。コンビニのファストフードの定番となった「おでん」にしても、おにぎりや弁当と一緒に食事として販売したからこそ定着したのだ。

これはメーカーの商品開発にも共通する。日清食品の「カップヌードル」に代表されるカップ麺が袋めんをあっという間に追い抜いたのも「ミール」だったからこそ。またシリアル市場の性格までを変えたフルーツグラノーラも、同商品とヨーグルトなどで十分食事になったからこそ、シリアルが子どもカテゴリーから大人カテゴリーに進化したのだ。

このように日本の食品の販売がフードからミールに変化していった要因は、女性の就業率の推移と大きな関係がある。働く女性が増えれば、当然調理にかける時間が短くなる。その結果、簡便性の高い食品のニーズが高まるのはもちろんのこと、ミールとして完成度の高い商品の需要が高まっていったのだ。その相関関係を推測できるのが別表の女性の年齢階級別就業率と一般社団法人日本惣菜協会が集計した惣菜市場の推移だ。

女性の就業率は、2006年から2016年の11年間の比較で、15~24歳を除いてどの年代でも上昇傾向にある。子どもの教育費などがかさむ時期にパートタイマーとして働きに出ても、かつては50代後半になればリタイアすることが多かったが、2016年には55~59歳でも7割近い人が働いている。パートタイムの比率が高いとはいえ、これだけ働く女性が増えれば、おかずの素材を買い込み、一から食事を手づくりする人が減少するのは当然の流れだ。それと比例する形で惣菜市場の規模は2006年の7兆8,129億円が2015年には2兆円近く増えて9兆5,881億円まで拡大している。

女性の年齢階級別就業率および惣菜市場規模の推移表 女性の年齢階級別就業率および惣菜市場規模の推移(excel ダウンロード)

フードとミールの融合を視野に入れ始めたリテールも登場

日本の食品市場は、ようやくミールの提供が主体になってきたが、生活者の意識は一歩先に進んでいるように見える。というのも最近の若いカップルは、たとえ結婚していても、二人とも働いている人が多いため、かつてのように妻が夫の食事を用意して帰宅を待つといったシーンが減少。せいぜい一緒に食事をするのは週1、2回という夫婦が増えている。仮に子どもができても産休期間が終われば、保育所に子どもを預けて職場復帰するケースが増えており、かつてのように食事は手づくりしなければならないという呪縛から解き放たれている夫婦も多い。

惣菜の食卓そのような生活者の変化に対応するために「フード&ミールの融合」という新しい方向性を打ち出したのがオリジン東秀だ。同社は惣菜専門店の「オリジン弁当」を主体に成長してきたが、2014年2月に東京・池袋に「キッチンオリジン」の1号店をオープンした。同店は働く女性のお客さまにより便利に、より気軽に利用してもらうため、女性目線で作り上げた店舗。挽きたてコーヒーや食事を楽しめるイートインスペースも併設している。また2016年9月には、外食と中食を融合させた「フリースタイルレストラン」のコンセプトで新業態「Origin」を開発、多面的に食品需要の取り込みに動いている。

つまりオリジン東秀では、従来のように惣菜や持ち帰り弁当の販売でだけでは、現状の食ニーズを十二分にキャッチできないと考え、内食、中食にプラス外食ニーズにも対応する、イートインスペースを併設した多用途店舗に作り替えているのだ。また食事の一品として惣菜を購入してもらうだけではなく、同社の惣菜で食事そのものをコーディネートしてもらおうという意図もありそうだ。

こうした食事の場の提供はコンビニやスーパーマーケットでも進んでいる。食品スーパーではミールソリューションをさらに進化させるため、イートインスペースを設ける店舗が増え、内食だけではなく中食への対応を図ろうとしている。なかには現在のイートインスペースでは、食事(特に夕食)をする雰囲気に遠いので、インストアカフェにグレードアップする店舗も出てきた。ただスーパーマーケットでは、中食や外食ニーズの取り込みは始まったばかりで、成功例はまだ出てきていない。当面はスーパーマーケットの新機能構築の挑戦が各社で続きそうだ。

執筆:山口 拓二

第16回<予定>「フードデザートの増加とミニスーパーのポテンシャル 」

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【スーパーマーケットのマーケティング事始 第14回】私的日本のディスカウントストア(DS)論

日本のDSチェーンが売上高1,000億円を超えられなかった理由

スーパーマーケット1990年代までは、日本のディスカウントストア(DS)には「1,000億円の壁」が厳然としてあった。売上高1,000億円に最も近づいたのは、イトーヨーカ堂グループとなっていた平塚のダイクマだが、IT家電の取り込みに失敗してあえなく失速、ヤマダ電機に吸収された。ロヂャースや多慶屋などの中堅DSも店舗は多くのお客様であふれかえる繁盛店だったが、売上は数百億円規模以上にはならない状態が続いていた。

またウォルマートやターゲットなどアメリカのDSチェーンをモデルに、日本での展開を図った九州のMr.MAXも1990年代初頭に、売上高1兆円構想を打ち上げたが、現状ようやく売上高が1,000億円を超えている程度で、計画と実績の間には大きなギャップがあった。

このように日本のDSチェーンが伸び悩んだのにはいくつかの理由が考えられる。まず一つ目の要因は、ダイエーをはじめとする量販店そのものがディスカウントストアの要素を持っていたということがある。日本にスーパーマーケット(SM)が登場する以前は、商品は定価販売が主体だったが、中には定価自体がはっきりせず、小売店によっては不当に高い価格で販売されているケースもあった。それがSMの登場で初めて値引き販売されるようになり、日本人は商品の価格は店舗によって違うのだということを学んだ。

ダイエーの場合は、もっとディスカウントのインパクトは強かった。神戸・新開地近くの小さな薬局からスタートした同社は、実質1号店と言われる大阪・千林店で一般用医薬品の安売りを実施、鮮烈なデビューを飾った。その後も同社は松下電器(現パナソニック)や花王などトップメーカーと価格主導権の争奪戦を繰り広げ、価格破壊がダイエーの代名詞ともなった。

その後ダイエー、イトーヨーカ堂、イオン(1990年代まではジャスコ)など大手チェーンはオペレーションコストがアップ、創業期のように商品を安く売れなくなっていく。そこでダイエーは「トポス」、イトーヨーカ堂「ザ・プライス」、ジャスコ「ザ・ビッグ」のようなDS業態を開発、減価償却の済んだ店舗をディスカウントストアに転換して、ニーズの取り込みを図っていく。つまりDSチェーンが自立を図ろうとしても、大手チェーンが業態を複合化させていったため、1990年代まではDSチェーンはビッグチェーンとディスカウントニーズの取り合いをせざるを得なかったのだ。

システム発想がなかった日本のディスカウントストア

問屋二つ目の要因は1990年代までの日本のディスカウントストアには、商品を安く売るための仕組みづくりをしようとする意識がなかったことがある。そのため当時は商品の仕入れ先として現金問屋が幅を利かせていた。ちなみに現金問屋とは、倒産したメーカーや不渡りを出した卸の商品は言うまでもなく、大手メーカーの決算処分品などを破格の価格で揃えていた卸のこと。いくらかはアンダーグラウンドに通じる部分が必要で、びっくりするような掘り出し物もあった。

それで思い出すのは名古屋のハローフーヅというSMチェーンのこと。現在は大阪のコノミヤの傘下に入っているが、同社は1980年前後から一部の店舗をSMからDSに業態転換して大きく売上を伸ばし注目されていた時期があった。そこで筆者も当時ハローフーヅのDS部門を統括する役員にインタビューしたことがあった。その際出てきたのが「名古屋は東京と大阪の中間にあり、アパレルメーカーや卸が型落ち品を処分しやすいため、商品が豊富に出回る土地柄なんです」という説明。「カルヴァン・クライン」「ラルフローレン」などの有名ブランドは、東阪で処分すると目立ちすぎるので、名古屋のハローフーヅなどに持ち込み帳尻を合わせていたのだ。

つまり1990年代までの日本のディスカウントストアには、仕入れの仕組みを開発しようとか、効率的な物流システムを構築しようといった発想はなかったのだ。別の言い方をすれば、当時のディスカウントストアは、一発当てて繁盛店になろうとは思っても、産業化して規模拡大しようといった考え方はなかったのだ。

日本でディスカウントストアが伸び悩んだ三つめの理由は、時代状況からくる生活者の意識が大きく関係している。日本では1950年代半ばから高度成長が始まり、景気の変動こそあったが1980年代末まで続く。そのため世論調査では9割近くの人が「自分は中流だと思う」と答えていたのだ。ただ一億総中流と言われた時代でも、すべての人が中流だったわけではなく「実際に中流以上の人」と「いつかは中流になりたい人」に分かれる。とはいえ当時の状況からいえば、自分も中流になれると思うこと自体はごく自然だった。

このように団塊世代をはじめ多くの人が「中流」となり、それに続く世代もいずれ中流になれるはずと思っているなかでは、ディスカウントストアの利用は限定的にならざるを得なかった。まして1990年代初めまでのディスカウントストアの品揃えは、計画的MDではなくバッタ品中心だったから、欲しい商品がいつでもDSで手に入る状況ではなかった。これもDSが1990年代までは補完的業態にとどまっていた要因の一つだった。

DS業態成長の分水嶺となったのは2000年前後

ドン・キホーテ業態として成長できなかったDSに変化が現れたのは2000年前後のこと。ドン・キホーテが売場面積300坪の、当時としては大型の新宿店を1997年にオープン、1998年6月期は255億円に過ぎなかった同社の売上高は、2年後の2000年6月期には約3倍の734億円まで拡大する。

一方、ロボットを導入したローコストオペレーションのSMを出店するなど、アイデアで業界生き残りを図って来たオーケーは、1986年に基本方針に「EverydayLowPrice」を加えていたが、1990年代後半にはその姿勢を徹底、競合店のチラシ価格が同店より安ければ、チラシを持参した人には同じ価格で販売するプロモーションを実施、成長軌道に乗り始める。もう一つのトライアルカンパニーは、創業時の事業がソフトウエア開発及びパソコン販売だったこともあり、本格的な成長は2000年代に入ってからになる。

このように2000年前後を境に、ディスカウントストアが成長期に入ってきたのは、日本社会の変化が密接に関わっている。1991年にバブル経済が崩壊、銀行の不良債権が大きな社会問題となり、1997年には山一證券や北海道拓殖銀行が経営破綻、かつてない就職氷河期から派遣労働などによる非正規雇用の拡大が始まる。それが一億総中流と言われた均質社会に格差をもたらし、年収が300万円に達しない低所得層を現出する。つまり1990年代後半から2000年代にかけて、それまで存在しなかったディスカウントストアのユーザーが大量に生み出されたのだ。そうでも考えない限り、その後のドン・キホーテやトライアルカンパニー、オーケーなどの成長は説明がつかない。

見方を変えれば1990年代初頭までは、丸井の割賦販売のように将来の収入増をあてにした消費形態をとることができ、ディスカウントストアでの買物はあくまで補完的なものだった。それが2000年代に入って、トライアルカンパニーやオーケーに全面的に頼らざるを得ない顧客層が登場、DS業態の規模拡大になっていったのだ。それを象徴するのが、トライアルで販売されていた「コシヒカリ」だ。この商品はディスカウントストアで買物するにしても、やはり銘柄米にしたい人のために品揃えされていた商品だが、炊飯してみるとごはんの真ん中が盛り上がらず、逆に盛り下がるようなコメ。つまりトライアルのコシヒカリには、かなりの比率でくず米が混入されていたのだ。それでも「トライアルコシヒカリ」が売れるところに、所得は低くてもせめて「コシヒカリ」で満足感を得たいという、切ない心情が見て取れる。

消費者のライフスタイルへの対応に成功したドン・キホーテ

21世紀に入っての日本でのディスカウントストアの台頭は数字的にも裏付けられている。トライアルカンパニーとオーケーは売上高3,000億円を突破、ドン・キホーテにいたっては2016年6月期に連結売上高は7,595億円まで拡大してきた。これは日本の小売業ランキングでは12位で、いまや日本を代表する小売業の一つになってきた。最近はイトーヨーカ堂やユニーが地方を中心に店舗のスクラップを進めており、そのような物件に居抜き出店する事例も増えている。

DSチェーン主要3社の売上高の推移

表 DSチェーン主要3社の売上高の推移(excel ダウンロード)

ではなぜドン・キホーテはこれほど成長できたのだろうか。圧縮陳列を多用した売場プレゼンテーションがエキサイティングだった、地域特性に対応した個店経営が消費者ニーズを掘り起こしたなど、さまざまな要因が語られている。これらは決して間違いではなく、ドン・キホーテが成長した一因ではあるが、より本質的にいえば、見た目はいかにもディスカウントストア臭ぷんぷんの外観ながら、安さを前面に出すのではなく、顧客のライフスタイルに対応した売り方をしてきたからこそドンキの急成長が可能だったのだ。つまりドン・キホーテはアウトサイダーからスタートしたため、業態分類上はディスカウントストアとされてきたが、DSの範疇を大きくはみ出しているのだ。

したがってマイルドヤンキーから支持が始まったドン・キホーテは、やがてファミリー層を顧客化、最近では外国人観光客にも人気となっている。1990年代にヤンキー層に人気となったのは、彼らが百貨店はもちろんGMSにも親和性を感じていなかったため。つまりドン・キホーテがヤンキー層の買物の受け皿となったのだ。ただ彼らは安さにひかれたのではなく、ドン・キホーテの品揃えや売り方に共感したからこそメーン顧客となっていった。同店で商品と顧客をつなぐPOPには、商品の特徴が消費者目線で表現されている。こうしたきめ細かな取り組みは一般的なディスカウントストアにはない。これは典型的なディスカウントストアとして、安さを前面に出して成長してきたトライアルカンパニーとの大きな違いだ。

執筆:山口 拓二

第15回<予定>「フードからミールへ—変質する食品の販売 」

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30〜40代女性の生活を見える化!「食トレ研究」2017年の生活者の食ニーズ
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【スーパーマーケットのマーケティング事始 第13回】
進化するSMのマーチャンダイジングー「2:6:2の原則」

画一的オペレーションからの脱却

スーパーマーケットの売場最近スーパーマーケット業界では、チェーンストアにもかかわらず「個店経営」とか店長への権限移譲の議論がかまびすしい。とくに展開エリアが広域にわたる大手チェーンほどその傾向が顕著だ。GMS再生を地域対応の品揃え、およびライフスタイル提案に賭けているイオンの「イオンスタイル」への転換がその代表例かもしれない。ただこれはいまに始まったことではなく、売上不振になるたびに唱えられてきたスローガンでもある。イトーヨーカ堂でも、地域ニーズへの対応に何度もチャレンジし、それによって業績を回復させた店舗もあったが抜本的な解決とはならず、ついに40店舗の大量閉店計画を打ち出すに至った。

この個店経営へのシフトで大事なことは、本当の意味での品揃えや店舗運営の標準化ができていなければ、いくら権限を店長に委譲しても成果は上がらないということ。自社のオペレーションレベルが「標準化」ではなく「画一化」だったからこそ顧客の支持を得られていなかったにもかかわらず、標準化できていると思い込んでいたところに大きな問題があったのだ。予算措置なしに掛け声だけ現場の店長の裁量権を増やしても、店長の負担が増すだけで、業績が改善するはずがない。

「3S」が日本の小売業を進化させた

戦後の日本の小売業の進歩をリードしたのが組織小売業(チェーンストア)であることは誰しも異論はないだろう。そして小売業の革新の支柱となったのが「3S」だ。これは標準化(standardization)、単純化(simplification)、専門化(specialization)の頭文字からできた言葉。小売業の業務を「3S」を軸に体系化することで、誰でも少し研修を受ければ小売業で働けるようになり、チエーンオペレーションが可能になった。今では従業員の80%近くが非正規雇用のパートタイマーでも店舗を運営できるようになっているし、セブンーイレブンのように、国内だけで1万9,166店(2017年11月現在)も展開するチェーンも存在する。

なかにはベビー用品専門店の西松屋のように、店舗の売場面積を600m²にし、レイアウトも一定にすることで、少人数でオペレーションできる仕組みを構築、高収益企業になったチェーンもある。レイアウトが標準化されていれば、物流センターで商品を売場ごとにピッキングし、それをコンテナにいれて配送すれば、店舗従業員の動線は最短になり、売場の生産性は最大化する。しかし、西松屋やしまむらのように、売場レイアウトまで標準化できているチェーンストアは少数派であり、敷地の形状に応じてレイアウトが変わるSMチェーンのほうが日本では一般的だ。それだけに日本のSMチェーンの生産性は低い。

スーパーマーケットの売場もちろんSMチェーンも「3S」を取り込むことによって、チェーンストアとして残ったことは間違いない。SMチェーンがオペレーションを標準化する際、まず最初に手をつけたのが、用語の意味の統一であったことは有名な話だ。これはそれぞれの用語の意味を共有していなければ、仕事上の指示はもちろん、従業員間のコミュニケーションが成立しないからだ。

また日本でSM業態の構築を主導したオール日本スーパーマーケット協会(AJS)では、生鮮食品や惣菜の商品化作業を売場背後のバックヤードで行う450坪ストアの概念を打ち出し、オペレーションに必要な冷蔵ショーケースやカートラックをはじめとするマテリアルを開発、いまやそれが業界標準となっている。今では600坪、800坪の大型スーパーマーケットが登場、450坪ストアはSM業態の主流ではなくなってきたが、450坪ストアがスーパーの経営上、最も効率のいい広さであることは変わらない。しかし、国土面積の狭い日本では、450坪であれ、600坪であれ売場面積を標準化しても、レイアウトまではパターン化できなかった。

「2:6:2の原則」で全国チェーンとの差別化を図る

最近は消費者の節約意識の定着もあって小売業の売上は全般的に厳しい推移が続いている。これは必需性の高い食品主体のスーパーマーケットといえども例外ではない。そのような状況のなか、ここへきて注目を集めているのが全国チェーンの個店オペレーションであり、ローカルチェーンの地域ニーズへの対応である。南北に長い日本列島は、食材にしろ、味付けにしろ地域特性が色濃く残っており、画一的な品揃えでは顧客満足度は上がらないからだ。

そのため、いま全国各地でさまざまな取り組みが進んでいる。例えば島根県益田市のローカルSMチェーンであるキヌヤでは、品揃えの基本に「2:6:2の原則」を据え、イオンリテイルやイズミとの差別化を図っている。「2:6:2の原則」の「2」はプライベートブランド(PB=同社はCGCに加盟しているので、CGCブランドの商品)、「6」はナショナルブランド(NB)、残る「2」はローカルブランド(LB)である。つまり同社ではPB2割、NB6割、LB2割を目安に売場の品揃えを組み立てているのだ。

「2:6:2の原則」の構造キヌヤでは、牛肉は地元の松永牧場のミートを独占的に扱っており、同社の看板商品ともなっている。スイーツでは地元の製菓店や酪農家の工房でつくった、キヌヤでしか購入できない商品が並んでいる。また青果売場では、地元の伝統野菜を含む農産物直売コーナーに広いスペースを取り、青果市場仕入れの青果とのダブル展開を行っているし、惣菜売場では地元の味付けにこだわった厚焼きたまごや唐揚げ、生寿司などを強化して地元ニーズに対応している。これら惣菜のオリジナル商品まで含めれば、キヌヤのLBの比率は2割を超えている可能性もある。

このようなローカルブランド重視の姿勢はキヌヤだけに限らない。売上ではなく内容で日本一のスーパーマーケットといわれるヨークベニマルでも、各店舗の社員およびパートタイマーが足元の製麺所や豆腐屋、ベーカリーなどを回り、その地域ならではの商品を探し当て、ローカル商品の開発を行っている。同社の店舗では、こうして開発した商品を「私が探してきました」とパートタイマーの名前を入れてPOPで紹介することで、顧客と商品との接点拡大を図っている。

地産地消でお金の流れを変える

スーパーマーケットの売場地方のスーパーマーケットによるローカルブランドの販売は、単に売れる商品が変わるだけではない効果も期待できる。その最大のポイントは、ローカルスーパーと地方のメーカーが協力してローカルブランドを育成することで、お金の流れが変わる可能性があること。2014年の「商業統計」では、島根県の大型スーパー、食品スーパーの合計販売額は1,167億円になっている。仮にこのうちの2割がローカルブランドに置き換われば、230億円強が地元メーカーの売上となって落ち、それが新たな雇用を生み、消費が増えて地域経済が活性化する。これはNB、PBがいくら売れても最終的に東京や大阪など大都市に本社のあるメーカーに、その成果が吸い上げられるのとは大きな違いだ。

つまり、ローカルスーパーが地元メーカーや生産者とコラボしてローカルブランドを育成することで、地方のお金は地方で回るようになる。そしてお金が回るようになれば、新しい雇用も生まれ、自然豊かな環境で子どもを育てたいという人を中心に大都市からのUターン、Iターンも増え、地方の人口減少の流れに歯止めがかかる可能性がある。そういう意味では、キヌヤが基本に据えている「2:6:2の原則」は、地域ニーズへの対応というだけにとどまらず、東京への一極集中の流れに棹さす可能性もある。

執筆:山口 拓二

第14回<予定>「私的 日本のディスカウント論」

30〜40代女性の生活を見える化!「食トレ研究」2017年の生活者の食ニーズ