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食のトレンド文庫「スーパーマーケットの食トレンド」むかしはいまの物語

【スーパーマーケットのマーケティング事始 第16回】
買物が不便なフードデザート(買物困難地域)の増加とミニスーパーのポテンシャル

700万人まで増えてきた日本の買物難民

都市部に住んでいるとあまり実感がないが、人口が減少を続ける地方を中心に「フードデザート」が大きな社会問題になりつつある。「フードデザート」とは直訳すれば「食の砂漠」になる。いいかえれば、買物に不便を感じている買物難民が増えており、2016年の内閣府の推計によると、約700万人に達しているとされている。経済産業省の定義によれば買物難民とは「生鮮食品店までの距離が500m以上、かつ自動車を持たない人」のことである。

買物難民が増えているでは具体的にはどのような形で買物難民が発生するのだろうか。まず地方で見てみよう。いまや日本全体が人口減少基調になっているが、地方では人口減少のスピードは都市部の比ではない。とくに中山間地と言われる町から遠い地域では過疎化が著しく、かつて人口が1,000人前後だった集落が、直近では300人を割り込むまでに減少、なおかつ65歳以上の高齢者が50%を超えているといったケースがざらにある。その結果かつては肉、魚、野菜から加工食品、雑貨までなんでも揃うよろず屋の経営が成り立たなくなり廃業、自分の足(自動車)を持たない高齢者は買物する店がない状態となる。

そのため、このような買物難民の増加は、栄養価の高い生鮮食品を十分に摂取できない高齢者を生み、健康上の問題も発生させている。なかには都会へ出た子どもたちが相談して、一人残った母親に生協の個配を注文、食品は配送されているケースもあるが、母親のほうは毎週届く肉や魚をもったいないと感じ、冷蔵庫の奥にしまい込み、娘がたまに帰省して冷蔵庫をチェックしたら腐った肉で冷蔵庫が満杯だったという笑えない話もある。

都市部でも買物困難地域が増える

都市部でも生鮮食品の買物の場がなくなるケースが出てきている。その最たる例が大型団地の商業施設だ。高度成長期に次々開発された大都市郊外の団地は、当時地方から東京など大都市に流入してきて結婚・出産とライフステージが上がっている人にとっては憧れの的だった。部屋も広く風呂もついているうえに、何よりも洋風化しつつある食生活に合わせたキッチンが新しい暮らしをイメージさせてくれた。大型団地になると商業ゾーンが設けられており、スーパーマーケットをはじめ、生鮮食品の専門店、薬局、郵便局さらには何軒かの外食店舗も出店、外へ出かけなくても団地内で生活が完結するようになっていた。

団地ブームから50年以上が経過したしかし、時間が進むとともに大都市郊外の開発が進み団地の外に大型店が出店、買物する場は広がりを見せる。モータリゼーションの波に乗ってクルマを手に入れた家庭では、週末は団地外での買物が増え、団地のスーパーや専門店は少しずつ客足が減少していく。そして団地ブームから50年以上が経過したいま、民間の戸建てもしくはマンションなど持ち家に移った人も多く、さらに居住者の高齢化が進行して消費力がダウン。その結果、団地内のスーパーや専門店は経営が悪化して閉店するところが続出、移動手段を持たない高齢者は買物する店舗がない事態に直面する。

このような買物困難地域は、郊外の団地だけにとどまらず、東京23区内のようなディープ東京にも及んでいる。もともと地価の高い都区部ではSMチェーンの出店は難しく肉、魚、青果の専門店やそれらから進化した単独スーパーが居住者の食生活を支えていた。ところが最近では、都区部でも専門店の廃業が増え、スーパーマーケット化した総合食料品店もコンビニなどとの競合に敗れて閉店、高齢者が生鮮食品を購入する場が少なくなっている。

そのためここへきて都区部で目を引くのが、シルバー用のショッピングカートを引いた高齢女性の姿だ。健康のため歩いて買物に行こうという意識もあるのだろうが、目標のスーパーまで500m以上になれば、足元のおぼつかない高齢者にはかなりの負担になっているはずだ。

このように地域の人口減少や人口構成が変わることによって、経営が成り立たなくなっている店舗が確実に増えている。地方でいえば生業的に経営していたパパママ店舗が利益が出なくなって廃業するのは当然の流れだし、都市部のSMチェーンでも出店している商圏の構造が変わり利益が出なくなれば、その店舗をスクラップするのは仕方ないことだ。

流通業の代表的な買物難民対策

しかし、フードデザートの増加=買物難民のボリュームアップをチャンスと見て攻めに転じる業態もある。例えばセブン-イレブン、ファミリーマート、ローソンなどコンビニチェーンでは、生鮮食品を扱う店舗が少ない立地では、お客さまの利便性に配慮して野菜を中心に精肉、海産物の塩干などを扱うコンビニの出店を続けている。本部では農業生産法人を設立したり、生鮮ベンダーの開発・強化を図っている。またセブン-イレブンではセブンミールをつくって、高齢者や出産直後の若い母親など買物が困難な人を対象に、弁当や店舗に品揃えしている商品の宅配を事業化している。セブンミールでは、2017年春にセイノーと業務提携し、配送業務のオーナー負担の軽減に乗り出した。

フード&ドラッグ業態の店舗が増加スーパーマーケットより店舗の出店密度が濃いDgSチェーンでも、和洋の日配だけではなく生鮮食品や総菜、弁当などを扱うフード&ドラッグ業態の店舗が増加、近くのドラッグストアで食品までを買物できる態勢を整えつつある。

それに対してスーパーマーケット各社が展開を強化しているのがネットスーパーだ。しかし、ネットスーパーの扱い高をきちんと発表しているのはイトーヨーカ堂くらいであり、どのチェーンもあまり実績が上がっているようには見えない。まして高齢者の場合、パソコンやスマートフォンを扱いなれない人が多く、便利な仕組みはあってもその入り口でつまずくことも多い。なかにはシニアにも操作が簡単なFAXを使えるようにしているチェーンもあるが、店舗の売上の一部を補完するのが精一杯だ。

それよりも現状で買物困難地域の高齢者に支持されているのが、軽トラックを改造して食品を中心に約1200品目の商品を積み込んだ「移動スーパー」だ。この移動スーパーには二つの流れがある。一つは全国の生協がそれぞれの事業エリアで展開しているもの。フードデザート対策という社会性が高く過疎地の多い北海道のコープさっぽろでは100台規模で2tトラックを改造した移動販売車(生協での呼称)を導入、個配などでは対応しきれないローカルエリアの組合員の食需要に対応している。

もう一つは徳島の株式会社とくし丸が始めた移動スーパーだ。こちらのほうは全国のSM企業と組み展開しており、2016年末で158台の移動スーパーが稼働している。同社は2016年に有機野菜ネット販売のオイシックスの子会社となったが、それを機に信用力が増し、とくし丸の仕組みを導入するチェーンは大規模チェーンまで拡大してきた。とくし丸の移動スーパーの年間売上は、1台当たり年間3,000万円程度と微々たるものだが、最終利益率は6.9%と高い。これはSMチェーンの純利益率1~2%と比較すると非常に高い。とくし丸を利用する高齢者は商品の価格ではなく、移動スーパーが巡回してくれることを評価しているのだ。

「まいばすけっと」は大都市部で多店舗化に成功

大都市の買物困難地域に狙いを定めて最も成果を上げているのがイオングループの「まいばすけっと」の事例だ。2005年12月に横浜市保土ヶ谷区に1号店を出店した「まいばすけっと」は、以後横浜市、川崎市さらには東京23区の城南・城西地区を中心に出店を続け、12年後の2017年2月期には637店舗まで増やしている。同店は売場面積30~60坪の都市型ミニスーパーで、狭いながら生鮮3品から日配、総菜、加工食品、雑貨などをフルライン展開、コンビニとは明らかに店舗の性格が違う。

都市型小型スーパー東京都区内での都市型小型スーパーの展開では、その後、紆余曲折の末に同じグループとなったユナイテッド・スーパーマーケットHDの基幹チェーン、マルエツの「マルエツプチ」のほうが早かったが、出店スピードで「マルエツプチ」を圧倒した「まいばすけっと」が大差をつけた。売上高でも17年2月期で1,200億円に迫っている。そういう意味でいえば、食品スーパーが手薄な大都市中心部に目をつけ、集中出店を図った「まいばすけっと」は、それほど話題になることはないが、イオンにとっては久々のクリーンヒットとなった。

しかし、「まいばすけっと」は利益が十分上がっているとは言い難い。とくに最近はコンビニチェーンとの出店競争が激化、都心の新築オフィスビルやマンションなどに入居せざるを得なくなっており、出店コストがかさむようになっている。今後「まいばすけっと」が首都圏でコンビニ並みに出店し、ミニスーパーチェーンとして成長するためには、確実に利益が出せる仕組みづくりが不可欠だ。

ディープ・ディスカウントSMの可能性

フードデザートのうち、地方での事業展開は、人口が大きく減少していることもあり、かなり難しい。ネット通販を誰もが使いこなせるようになるまでは、移動スーパーが最も効率が高いかもしれない。ただ、人口の多い都市部では、現状の都市型小型スーパー以外にもポテンシャルが期待できる業態がある。それはドイツのアルディに代表されるボックスストアだ。

ドイツのアルディは売場面積300~500坪に1,400品目(95%はPB)ほどの商品を、標準的なスーパーマーケットより40~50%、ウォルマート、コストコと比べても15~25%安く販売している。これを30~50坪にスケールダウンし、生鮮食品から日配、加工食品、雑貨などを合わせて1,000品目ほど、標準スーパーの半額の価格で展開すれば、特定層の消費者からの支持は集まるのではないか。

ドイツのアルディというのは2016年9月現在27.3%となっている65歳以上の高齢者の比率は、今後ますますアップしていき生活が厳しい年金生活者が増えていく。しかも年金受給額は漸減する可能性が大きく、年金プラスわずかな就労所得で生活しなければならない単身高齢者、高齢夫婦の生活は厳しさが増しそうだ。したがって、たとえPBが主体であっても、標準スーパーより40~50%安く購入できるディープ・ディスカウントSMは、国民年金中心の高齢者や非正規雇用の勤労者には魅力的な店舗となる。

日本にこれまでボックスストアがなかったわけではない。ダイエー全盛期の1979年11月に、同社が1号店を埼玉県大宮市宮原町にオープンした「ビッグ・エー」が最も早い事例になる。関西では「サンディ」が多店舗展開している。またイオンも2008年にPBを主体にした「アコレ」を開発、2017年2月期には132店舗まで増やしている。ただ「ビッグ・エー」を例にすると、当初はダンボール陳列を多用したローコストオペレーションの店舗だったが、価格的にはディスカウントSMと同程度だったため、売上が思ったように伸びず、やがて陳列方法も標準スーパーに近づき、ボックスストアとしての特性が薄れていった。

要は売り方もあまり好きではない、販売している商品も生鮮食品は少ないし、加工食品はPBがほとんどだけれど、それらをねじ伏せるだけの価格パワーが日本のボックスストアにはなかったのであり、商品を安く売るための仕組みの開発ができれば、ボックスストアはこれまで以上に成長性余力の高い業態になる可能性を秘めている。

執筆:山口 拓二

第17回<予定>「インストアオペレーションとセンターオペレーション」

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    食のトレンド文庫「スーパーマーケットの食トレンド」むかしはいまの物語

    【スーパーマーケットのマーケティング事始 第15回】フードからミールへ ― 進化するミールソリューション

    ミールソリューション提案から20年が経過した

    惣菜販売店今では日本のスーパーマーケットでも取り入れるチェーンが増えている「ミールソリューション」。これはアメリカ食品マーケティング協会(FMI)の1996年総会のコンベンションで発表されたのが最初だった。当時アメリカでは女性の就業率がアップ、家庭で料理を一から作る代わりに、デリ(惣菜)や下ごしらえされた食品を買い求めて手早く食事を作る家庭が増えていた。そのため食事の素材をメーンに販売しているスーパーマーケットが苦戦していた。その苦境からの脱出策として提案されたのが、対面デリやセルフデリを強化した新タイプの売り方提案である「ミールソリューション」だった。日本語に直訳すると「食事問題の解決」になる。

    この「ミールソリューション」の考え方は、アメリカで発表されるやいなや、日本のSM業界にも瞬く間に浸透した。1996年前後の日本では、バブル経済が崩壊し、金融業界でも倒産が発生するなど社会不安が増大していた。食品スーパーの売上も厳しい状況にあり、多くのSMチェーンではSMの原点回帰を合言葉に青果、精肉、鮮魚の生鮮3品の再強化を掲げていた。つまり当時のSMチェーンは、売上不振を伝統的な「おかずの素材」の再強化で乗り切ろうとしていたのだ。

    もちろん中には、大阪のニッショーストア(現阪急オアシス)、広島のフレスタ、首都圏のヤオコーのように家庭での調理の簡便化を図るために、デリや半調理食品に力を入れミール提案を意識しているチェーンもあったが、これはあくまで少数派。今では想像もできないが、1990年代半ばまでの日本のSMチェーンは「毎日のおかず屋」であり食事の素材を提供する店舗が主流派だった。

    サラダその流れを変えたのが、冒頭で触れたFMIでのミールソリューション宣言だ。その底流には高度成長期のように世帯主の収入が増えず、21世紀に入って日本でも世帯収入を補填したり、自己実現のために女性の就業率が着実にアップしていったという事情がある。

    それを象徴するのがカット野菜の売上増だ。キユーピーが51%、三菱商事が49%出資して1999年から事業を始めた株式会社サラダクラブの売上高は、初年度(1999年11月期)が6,100万円だったが、2016年11月期には263億円まで拡大、絵に描いたような右肩上がりになっている。洗わずに食べられる同社のパッケージサラダは、仕事で忙しい女性(主婦)の増加とともに、手早くサラダを用意できる利便性が評価されて着実に成長したのだ。最近ではサラダクラブのパッケージサラダだけではなく、スーパーやコンビニで販売しているカップサラダもあり、すぐ食べられるパッケージサラダの売上はかなりの規模に達しているのではないかと思われる。

    ミールソリューションがもたらした変化

    ではミールソリューション以前と以後では何が変わったのだろうか。端的にいえば日本のスーパーマーケットの食品の販売において、文字通り「ミール=食事」が意識されるようになったことだ。少なくとも1990年代初頭までは、スーパーマーケットの惣菜はあくまで補助的な商品だった。夕方、主婦が食品スーパーの買物に行って食卓をイメージしたとき、予定していた品目だけではちょっとテーブルが寂しいかなといったとき、プラス一品にエビフライや唐揚げが買われていた。それがミールソリューション以後は、メーンが惣菜のロースカツになり、せめて付け合わせのキャベツだけは自分で刻もう、煮物を一品つけようということになっていく。そして時代が進むと、付け合わせのキャベツさえパック商品に取って代わられていく。

    またミールソリューションが話題に上るようになって以降、それまでのメニュー提案がレシピ提案になったのも、大きな変化の一つといえるかもしれない。これはメニュー提案では料理をイメージできても、よほど料理に習熟している人でない限り調理できないからだ。レシピ提案であれば手順にしたがって誰でも調理できる。

    おでんただ、これは「おかずの素材」にこだわりすぎたスーパーマーケットの特殊性かもしれない。それはコンビニをみればよくわかる。コンビニでは当初から素材ではなく食事を意識して弁当やおにぎり、サンドイッチなどを販売、売上を伸ばしてきた。コンビニのファストフードの定番となった「おでん」にしても、おにぎりや弁当と一緒に食事として販売したからこそ定着したのだ。

    これはメーカーの商品開発にも共通する。日清食品の「カップヌードル」に代表されるカップ麺が袋めんをあっという間に追い抜いたのも「ミール」だったからこそ。またシリアル市場の性格までを変えたフルーツグラノーラも、同商品とヨーグルトなどで十分食事になったからこそ、シリアルが子どもカテゴリーから大人カテゴリーに進化したのだ。

    このように日本の食品の販売がフードからミールに変化していった要因は、女性の就業率の推移と大きな関係がある。働く女性が増えれば、当然調理にかける時間が短くなる。その結果、簡便性の高い食品のニーズが高まるのはもちろんのこと、ミールとして完成度の高い商品の需要が高まっていったのだ。その相関関係を推測できるのが別表の女性の年齢階級別就業率と一般社団法人日本惣菜協会が集計した惣菜市場の推移だ。

    女性の就業率は、2006年から2016年の11年間の比較で、15~24歳を除いてどの年代でも上昇傾向にある。子どもの教育費などがかさむ時期にパートタイマーとして働きに出ても、かつては50代後半になればリタイアすることが多かったが、2016年には55~59歳でも7割近い人が働いている。パートタイムの比率が高いとはいえ、これだけ働く女性が増えれば、おかずの素材を買い込み、一から食事を手づくりする人が減少するのは当然の流れだ。それと比例する形で惣菜市場の規模は2006年の7兆8,129億円が2015年には2兆円近く増えて9兆5,881億円まで拡大している。

    女性の年齢階級別就業率および惣菜市場規模の推移表 女性の年齢階級別就業率および惣菜市場規模の推移(excel ダウンロード)

    フードとミールの融合を視野に入れ始めたリテールも登場

    日本の食品市場は、ようやくミールの提供が主体になってきたが、生活者の意識は一歩先に進んでいるように見える。というのも最近の若いカップルは、たとえ結婚していても、二人とも働いている人が多いため、かつてのように妻が夫の食事を用意して帰宅を待つといったシーンが減少。せいぜい一緒に食事をするのは週1、2回という夫婦が増えている。仮に子どもができても産休期間が終われば、保育所に子どもを預けて職場復帰するケースが増えており、かつてのように食事は手づくりしなければならないという呪縛から解き放たれている夫婦も多い。

    惣菜の食卓そのような生活者の変化に対応するために「フード&ミールの融合」という新しい方向性を打ち出したのがオリジン東秀だ。同社は惣菜専門店の「オリジン弁当」を主体に成長してきたが、2014年2月に東京・池袋に「キッチンオリジン」の1号店をオープンした。同店は働く女性のお客さまにより便利に、より気軽に利用してもらうため、女性目線で作り上げた店舗。挽きたてコーヒーや食事を楽しめるイートインスペースも併設している。また2016年9月には、外食と中食を融合させた「フリースタイルレストラン」のコンセプトで新業態「Origin」を開発、多面的に食品需要の取り込みに動いている。

    つまりオリジン東秀では、従来のように惣菜や持ち帰り弁当の販売でだけでは、現状の食ニーズを十二分にキャッチできないと考え、内食、中食にプラス外食ニーズにも対応する、イートインスペースを併設した多用途店舗に作り替えているのだ。また食事の一品として惣菜を購入してもらうだけではなく、同社の惣菜で食事そのものをコーディネートしてもらおうという意図もありそうだ。

    こうした食事の場の提供はコンビニやスーパーマーケットでも進んでいる。食品スーパーではミールソリューションをさらに進化させるため、イートインスペースを設ける店舗が増え、内食だけではなく中食への対応を図ろうとしている。なかには現在のイートインスペースでは、食事(特に夕食)をする雰囲気に遠いので、インストアカフェにグレードアップする店舗も出てきた。ただスーパーマーケットでは、中食や外食ニーズの取り込みは始まったばかりで、成功例はまだ出てきていない。当面はスーパーマーケットの新機能構築の挑戦が各社で続きそうだ。

    執筆:山口 拓二

    第16回<予定>「フードデザートの増加とミニスーパーのポテンシャル 」

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      30〜40代女性の生活を見える化!「食トレ研究」2017年の生活者の食ニーズ
      食のトレンド文庫「スーパーマーケットの食トレンド」むかしはいまの物語

      【スーパーマーケットのマーケティング事始 第14回】私的日本のディスカウントストア(DS)論

      日本のDSチェーンが売上高1,000億円を超えられなかった理由

      スーパーマーケット1990年代までは、日本のディスカウントストア(DS)には「1,000億円の壁」が厳然としてあった。売上高1,000億円に最も近づいたのは、イトーヨーカ堂グループとなっていた平塚のダイクマだが、IT家電の取り込みに失敗してあえなく失速、ヤマダ電機に吸収された。ロヂャースや多慶屋などの中堅DSも店舗は多くのお客様であふれかえる繁盛店だったが、売上は数百億円規模以上にはならない状態が続いていた。

      またウォルマートやターゲットなどアメリカのDSチェーンをモデルに、日本での展開を図った九州のMr.MAXも1990年代初頭に、売上高1兆円構想を打ち上げたが、現状ようやく売上高が1,000億円を超えている程度で、計画と実績の間には大きなギャップがあった。

      このように日本のDSチェーンが伸び悩んだのにはいくつかの理由が考えられる。まず一つ目の要因は、ダイエーをはじめとする量販店そのものがディスカウントストアの要素を持っていたということがある。日本にスーパーマーケット(SM)が登場する以前は、商品は定価販売が主体だったが、中には定価自体がはっきりせず、小売店によっては不当に高い価格で販売されているケースもあった。それがSMの登場で初めて値引き販売されるようになり、日本人は商品の価格は店舗によって違うのだということを学んだ。

      ダイエーの場合は、もっとディスカウントのインパクトは強かった。神戸・新開地近くの小さな薬局からスタートした同社は、実質1号店と言われる大阪・千林店で一般用医薬品の安売りを実施、鮮烈なデビューを飾った。その後も同社は松下電器(現パナソニック)や花王などトップメーカーと価格主導権の争奪戦を繰り広げ、価格破壊がダイエーの代名詞ともなった。

      その後ダイエー、イトーヨーカ堂、イオン(1990年代まではジャスコ)など大手チェーンはオペレーションコストがアップ、創業期のように商品を安く売れなくなっていく。そこでダイエーは「トポス」、イトーヨーカ堂「ザ・プライス」、ジャスコ「ザ・ビッグ」のようなDS業態を開発、減価償却の済んだ店舗をディスカウントストアに転換して、ニーズの取り込みを図っていく。つまりDSチェーンが自立を図ろうとしても、大手チェーンが業態を複合化させていったため、1990年代まではDSチェーンはビッグチェーンとディスカウントニーズの取り合いをせざるを得なかったのだ。

      システム発想がなかった日本のディスカウントストア

      問屋二つ目の要因は1990年代までの日本のディスカウントストアには、商品を安く売るための仕組みづくりをしようとする意識がなかったことがある。そのため当時は商品の仕入れ先として現金問屋が幅を利かせていた。ちなみに現金問屋とは、倒産したメーカーや不渡りを出した卸の商品は言うまでもなく、大手メーカーの決算処分品などを破格の価格で揃えていた卸のこと。いくらかはアンダーグラウンドに通じる部分が必要で、びっくりするような掘り出し物もあった。

      それで思い出すのは名古屋のハローフーヅというSMチェーンのこと。現在は大阪のコノミヤの傘下に入っているが、同社は1980年前後から一部の店舗をSMからDSに業態転換して大きく売上を伸ばし注目されていた時期があった。そこで筆者も当時ハローフーヅのDS部門を統括する役員にインタビューしたことがあった。その際出てきたのが「名古屋は東京と大阪の中間にあり、アパレルメーカーや卸が型落ち品を処分しやすいため、商品が豊富に出回る土地柄なんです」という説明。「カルヴァン・クライン」「ラルフローレン」などの有名ブランドは、東阪で処分すると目立ちすぎるので、名古屋のハローフーヅなどに持ち込み帳尻を合わせていたのだ。

      つまり1990年代までの日本のディスカウントストアには、仕入れの仕組みを開発しようとか、効率的な物流システムを構築しようといった発想はなかったのだ。別の言い方をすれば、当時のディスカウントストアは、一発当てて繁盛店になろうとは思っても、産業化して規模拡大しようといった考え方はなかったのだ。

      日本でディスカウントストアが伸び悩んだ三つめの理由は、時代状況からくる生活者の意識が大きく関係している。日本では1950年代半ばから高度成長が始まり、景気の変動こそあったが1980年代末まで続く。そのため世論調査では9割近くの人が「自分は中流だと思う」と答えていたのだ。ただ一億総中流と言われた時代でも、すべての人が中流だったわけではなく「実際に中流以上の人」と「いつかは中流になりたい人」に分かれる。とはいえ当時の状況からいえば、自分も中流になれると思うこと自体はごく自然だった。

      このように団塊世代をはじめ多くの人が「中流」となり、それに続く世代もいずれ中流になれるはずと思っているなかでは、ディスカウントストアの利用は限定的にならざるを得なかった。まして1990年代初めまでのディスカウントストアの品揃えは、計画的MDではなくバッタ品中心だったから、欲しい商品がいつでもDSで手に入る状況ではなかった。これもDSが1990年代までは補完的業態にとどまっていた要因の一つだった。

      DS業態成長の分水嶺となったのは2000年前後

      ドン・キホーテ業態として成長できなかったDSに変化が現れたのは2000年前後のこと。ドン・キホーテが売場面積300坪の、当時としては大型の新宿店を1997年にオープン、1998年6月期は255億円に過ぎなかった同社の売上高は、2年後の2000年6月期には約3倍の734億円まで拡大する。

      一方、ロボットを導入したローコストオペレーションのSMを出店するなど、アイデアで業界生き残りを図って来たオーケーは、1986年に基本方針に「EverydayLowPrice」を加えていたが、1990年代後半にはその姿勢を徹底、競合店のチラシ価格が同店より安ければ、チラシを持参した人には同じ価格で販売するプロモーションを実施、成長軌道に乗り始める。もう一つのトライアルカンパニーは、創業時の事業がソフトウエア開発及びパソコン販売だったこともあり、本格的な成長は2000年代に入ってからになる。

      このように2000年前後を境に、ディスカウントストアが成長期に入ってきたのは、日本社会の変化が密接に関わっている。1991年にバブル経済が崩壊、銀行の不良債権が大きな社会問題となり、1997年には山一證券や北海道拓殖銀行が経営破綻、かつてない就職氷河期から派遣労働などによる非正規雇用の拡大が始まる。それが一億総中流と言われた均質社会に格差をもたらし、年収が300万円に達しない低所得層を現出する。つまり1990年代後半から2000年代にかけて、それまで存在しなかったディスカウントストアのユーザーが大量に生み出されたのだ。そうでも考えない限り、その後のドン・キホーテやトライアルカンパニー、オーケーなどの成長は説明がつかない。

      見方を変えれば1990年代初頭までは、丸井の割賦販売のように将来の収入増をあてにした消費形態をとることができ、ディスカウントストアでの買物はあくまで補完的なものだった。それが2000年代に入って、トライアルカンパニーやオーケーに全面的に頼らざるを得ない顧客層が登場、DS業態の規模拡大になっていったのだ。それを象徴するのが、トライアルで販売されていた「コシヒカリ」だ。この商品はディスカウントストアで買物するにしても、やはり銘柄米にしたい人のために品揃えされていた商品だが、炊飯してみるとごはんの真ん中が盛り上がらず、逆に盛り下がるようなコメ。つまりトライアルのコシヒカリには、かなりの比率でくず米が混入されていたのだ。それでも「トライアルコシヒカリ」が売れるところに、所得は低くてもせめて「コシヒカリ」で満足感を得たいという、切ない心情が見て取れる。

      消費者のライフスタイルへの対応に成功したドン・キホーテ

      21世紀に入っての日本でのディスカウントストアの台頭は数字的にも裏付けられている。トライアルカンパニーとオーケーは売上高3,000億円を突破、ドン・キホーテにいたっては2016年6月期に連結売上高は7,595億円まで拡大してきた。これは日本の小売業ランキングでは12位で、いまや日本を代表する小売業の一つになってきた。最近はイトーヨーカ堂やユニーが地方を中心に店舗のスクラップを進めており、そのような物件に居抜き出店する事例も増えている。

      DSチェーン主要3社の売上高の推移

      表 DSチェーン主要3社の売上高の推移(excel ダウンロード)

      ではなぜドン・キホーテはこれほど成長できたのだろうか。圧縮陳列を多用した売場プレゼンテーションがエキサイティングだった、地域特性に対応した個店経営が消費者ニーズを掘り起こしたなど、さまざまな要因が語られている。これらは決して間違いではなく、ドン・キホーテが成長した一因ではあるが、より本質的にいえば、見た目はいかにもディスカウントストア臭ぷんぷんの外観ながら、安さを前面に出すのではなく、顧客のライフスタイルに対応した売り方をしてきたからこそドンキの急成長が可能だったのだ。つまりドン・キホーテはアウトサイダーからスタートしたため、業態分類上はディスカウントストアとされてきたが、DSの範疇を大きくはみ出しているのだ。

      したがってマイルドヤンキーから支持が始まったドン・キホーテは、やがてファミリー層を顧客化、最近では外国人観光客にも人気となっている。1990年代にヤンキー層に人気となったのは、彼らが百貨店はもちろんGMSにも親和性を感じていなかったため。つまりドン・キホーテがヤンキー層の買物の受け皿となったのだ。ただ彼らは安さにひかれたのではなく、ドン・キホーテの品揃えや売り方に共感したからこそメーン顧客となっていった。同店で商品と顧客をつなぐPOPには、商品の特徴が消費者目線で表現されている。こうしたきめ細かな取り組みは一般的なディスカウントストアにはない。これは典型的なディスカウントストアとして、安さを前面に出して成長してきたトライアルカンパニーとの大きな違いだ。

      執筆:山口 拓二

      第15回<予定>「フードからミールへ—変質する食品の販売 」

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        30〜40代女性の生活を見える化!「食トレ研究」2017年の生活者の食ニーズ