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食のトレンド 平成流通30年史

【平成流通30年史 第3回】
失われた20年にディスカウントストア(DS)が急成長

昭和のDS業態はダイクマ、ロヂャースがリード

平成の30年で大きくボリュームアップした業態がある。ドラッグストア業態とディスカウントストア業態だ。なかでもDS業態の急拡大は目を見張るものがある。ドン・キホーテのような総合DS、オーケーのような食品DSを合わせると、その業態規模は天文学的に伸びた。

昭和のディスカウントストアを牽引したのが、神奈川県平塚市に本社のあったダイクマ、同じく神奈川県相模原市のアイワールド、埼玉県のロヂャース、東京・上野の多慶屋などだ。なかでも業態を代表するチェーンと目されていたのが、ホームセンター事業を展開していた「大工の熊五郎」。同社はイトーヨーカ堂と資本提携し、「ダイクマ」に商号変更、総合DS企業になった。

ところでロヂャース、アイワールド、多慶屋などの総合DSの地元での繁盛ぶりは語り草になっている。JR横浜線相模原駅が最寄り駅だったアイワールドは、駅から少し距離があったが、週末ともなれば人の流れが出来ており、初めてでも店を探すのに苦労しなかった。つまり昭和のディスカウントストアは、アイワールド、多慶屋のような単独店展開の企業が多かった。したがって個店としてみれば超繁盛店でも、企業トータルとしては、それほど大きな売上ボリュームにはなっておらず、小売業全体に与える影響力はそれほど大きくなかった。

昭和のDSチェーンには1,000億円の壁があった

しかし、昭和のDS業態では、売上規模的にも、資本関係からいってもダイクマが最有力チェーンと見られていた。埼玉のロヂャースと神奈川のダイクマとは、ある時期まではそのパワーは拮抗していたが、1978年にイトーヨーカ堂がダイクマの株を一部取得、ダイクマが流通業の本流へとその占める位置を変えるにつれ、この両社には大きな差がついていった。

しかし、昭和時代のDS企業には「売上高1,000億円の壁」があった。ダイクマも売上ボリュームが1,000億円を超えつつあった時期に、家電やカメラがアナログからデジタルに移行した。その波に乗り遅れたダイクマは成長軌道から外れ、ヤマダ電機に買収されてしまった。

日本のディスカウントストアに、昭和時代「1,000億円の壁」があったのは、当時の社会状況とも大きく関係している。昭和の最後はバブルの時代であり、高度成長を再びバブルで引き寄せようとする終末期のもがきもあった。しかし、昭和末期を別にすれば、昭和30年代以降の日本経済は、かつて経験したことのない高度成長期であった。とくに昭和48年の石油ショック以降は、物価の上昇に合わせて給与も大幅増となり、日本の経済ボリュームは世界第2位になっていく。これはその後、中国に抜かれるまで続く。

しかも、昭和時代の日本経済は、当時の日本人の「一億総中流意識」からもわかる通り、誰もが自分も中流になれると思っていたし、事実30代半ばになれば、そこそこの所得水準に達していた。そのような状態にあっては、若いときにはディスカウントストアを利用しても、所得水準が上がってくれば、ディスカウントストアを活用する理由はなくなる。

大手チェーンのディスカウントストアには成功例がない

昭和のディスカウントストアでいうと、大手チェーンも店舗年齢が古くなった物件を、DSに転換する事例が増えてくる。その代表的がダイエーの「トポス」業態だ。これはダイエーの駅前立地の古い店舗をディスカウントストアに転換したもの。駅前立地で駐車場があまり取れないため、郊外立地の店舗には集客力で負ける。そこで原価償却も済んでいることだし、ディスカウントストアにして競争力をアップしようとしたのが「トポス」だ。ダイエーの古い店舗は、立地のいい店舗が多かったため、関東のトポス藤沢店、同町田店、同北千住店、関西のトポス古川橋店などのように売上高が100億円を超える店舗も多かった。トポスに転換して暫くは顧客が殺到する状態が続いたが、それは現在のドン・キホーテの比ではなかった。

イトーヨーカ堂も店舗年齢の古い中型店舗を中心に「ザ・プライス」に業態転換して活性化を図った。しかし、この「ザ・プライス」は食品・雑貨の小型DSが中心で、2階以上のフロアは衣料品や家具の専門店をテナントとして誘致するなど、その店舗フォーマットは中途半端。そのためイトーヨーカ堂のDS進出の割りにはインパクトに乏しかった。

受け入れられなかったアメリカ型ディスカウントストア

大手チェーンというわけではないが、アメリカのディスカウントストアの急成長とくにウォルマートの急伸に刺激され、アメリカ型DSの展開に乗り出したのが福岡の家電専門店Mr.Maxだ。同社では1978年(昭和53年)にDS1号店としてMr.Max長住店を開店、九州での店舗展開を始めた。また1997年(平成9年)には関東1号店のMr.Max伊勢崎店を出店。2000年には首都圏の一角、千葉県習志野市にも出店した。

当時のMr.Maxの勢いはかなりのものであり、九州、関東、首都圏での新規出店は多かった。そうした事情もあり、ウォルマートをモデルにしていた同社は、売上高がまだ1,000億円に達していない時期に大風呂敷ともいえる「売上高1兆円構想」を打ち上げるなど、日本でもウォルマート的DSが大きなボリュームを確保するのではないかと予感させたりもした。しかし、同社はディスカウントストアの展開を始めて40年後の2018年2月期で連結営業収益(売上高)は1,183億円にとどまり、中堅チェーンストアの位置から抜け出せないままだ。

もう1社、平成に入ってアメリカ型ディスカウントストアを展開したはいいが、成果が上がらなかったのがイオンだ。同社の「メガマート」は日本では珍しいノンフーズを主体としたディスカウントストアだった。

イオンの「メガマート」は1994年(平成6年)から展開を始めたDS業態であり、ペガサス代表の故渥美俊一氏が同店を見て絶賛した、いわくつきの店舗。しかし、渥美氏が褒めあげた店舗は、うまくいかないというジンクスがあり、「メガマート」も中長期的には、食品を含む「ザ・ビッグ」業態に転換していくことになる。「ザ・ビッグ」1号店は1989年9月の旧みどり岩国店で、イオンのDS業態は「ザ・ビッグ」に集約されていく。イオングループ全体のDS業態の店舗は、2018年1月現在207店舗で、その店舗比率は約22%になっている。

中流層の減少がディスカウントストアの成長を促す

1989年に3%の消費税課税から始まった平成時代は、1990年代初頭にバブルが崩壊、日本経済は一気に暗転する。バブル崩壊と同時に戦後の日本社会を規定してきた「土地神話」が崩れ、バブル時に抱えた負債が企業活動や個人の暮らしを圧迫するようになった。1990年代になると、徐々に民間給与は上がらなくなり、1990年代後半にピークになった給与は、その後ダウントレンドになっていく。(国税庁調べ)ところが所得税、住民税などの直接税、間接税の消費税、年金、健康保険料、介護保険料などは増加。これらを合わせた国民負担率はアップし、給与からこれらを引いた使えるお金は、中長期的には確実に減少していった。

短期的にみてもバブル崩壊の後、急速に不景気になり、安くなければ商品は売れなくなり、1994年頃から価格引き下げ競争が始まった。この結果、日本の価格決定権は、従来のメーカーからSMやDSにシフトしていった。1992年にトライアルカンパニーが「トライアル」1号店の南ヶ丘店を、イオンが「メガマート」1号店を出店したのは時期的にはベストタイミングだった。ドン・キホーテも1989年に139坪の府中店を開店した。ただ同店は開店が少し早すぎたこともあり、当初の売上高は3分の1の5億円にとどまった。しかし、2号店の杉並店は、バブル崩壊後のオープンだったこともあり、売上は初年度から15億円を超えた。つまりバブル崩壊後の日本経済は、価格が大きく価値観として浮上してきたのだ。

平成初頭に就職氷河期が始まる

やや余談になるが、1992年に最初の就職氷河期が始まった。団塊ジュニアは1971~1974年生まれの人たち。団塊ジュニアの先頭集団は1992年には21歳になっているのだ。これは日本社会のボリューム層である団塊ジュニアの就職、結婚の時期が日本が戦後それまで経験したことのない不況と重なり、団塊ジュニアは第3のベビーブーマーの母集団とはなりえなかったということだ。

もし1990年代半ばから後半にかけて、団塊ジュニアによる第3のベビーブームが起こっていれば、今のように日本は年間30~40万人も人口が減るといった事態にはなっておらず、合計特殊出生率も、2005年に1.26にまで落ち込むほどの低落傾向にはなっていなかったはずだ。別の見方をすれば、バブル崩壊後の不況のなかで、就職氷河期世代のような家族形成もままならないような人たちを作り出してしまった日本の政治、経済の対症療法しか取れなかった甘さこそ問題にすべきではないかと思う。

逆にいえば、バブル経済や土地神話の崩壊という流れのなかで、その変化にこそ危機感を抱き、あの時期に経営難におびえる一方だった企業の社員採用に補助金を出すといった施策を取っていれば、その後の就職難民はかなり減少、少子化の歯止めになっていたのではないかと思われる。大手企業を中心にした内部留保こそ少し少なくなっているかもしれないが、正規雇用者が増えた結果、内需は拡大、景気回復のタイミングもずっと早かったのではないか。

就職氷河期以降の世代のライフスタイルにフィットしたドン・キホーテ

このように昭和から平成に変わった約10年で、日本社会は大きなパラダイムシフトがあった。この結果、ディスカウントストア業態も大きく変わった。ヤマダ電機の子会社となったダイクマ、500~600億円前後の売上で変化がなくなったロヂャースなどの先行チェーンに対して、ドン・キホーテとトライアルカンパニーは、1990年代後半から平成時代の20数年で大きな成長を遂げた。

ちなみにトライアルカンパニーの2018年3月期の売上高は3,452億4,000万円、ドンキホーテHDは、9,415億800万円とかなり大きな差がついている。この差は両社がターゲットとしている客層の違いによる。トライアルカンパニーのコシヒカリは、SMよりもかなり安い。どんな米を使っているのか疑問に思った、あるSMの関係者が購入して自宅で炊飯してみたところ、普通は炊飯器の真ん中で盛り上がるごはんが、逆に盛り下がった。つまりトライアルカンパニーのコシヒカリは、一部割れ米などが混入されていた。だからこそ安い価格設定で販売できたのだ。

炊きあがったごはんの真ん中が盛り下がっても、コシヒカリはコシヒカリであり、自分たちは工夫しながらおいしいコシヒカリを食べていると自負する消費者もいるということである。逆にいえばトライアルカンパニーのお客さまは、かなり古典的なディスカウントストアのユーザーであり、たとえ割れ米が使われていても、「わが家のコシヒカリは訳あって安い」と納得しているのだ。

それに対して、まずヤンキーやマイルドヤンキーを顧客化していったドン・キホーテは、自社はディスカウントストアであると主張しているが、必ずしも価格価値だけで売れているわけではない。ドンキの店舗は、圧縮陳列や楽しいPOP、「夜店」のような夜間営業など多様な価値観に支えられて成長してきた。

ダイエー立川店がドン・キホーテ立川店になって大きく売上を伸ばしたり、ユニーやファミリーマートが、ドンキのノウハウを導入して50%近く売上を拡大したのもドン・キホーテの刺激的な売場展開があればこそ。

そして今や同社の店舗展開は、全国に及んでいるため、その顧客層はマイルドヤンキーから世帯年収300万円以下の非正規雇用者世帯を含む、現在の日本の主流層へ拡大してきた。つまりドン・キホーテの客層はいまや日本人のメインストリームを占めるようになってきているのだ。したがって、18年6月期の決算発表で、大原社長が西友の買収に興味津々の談話を発表したのは、ドン・キホーテの客層が西友とダブってきたことも大きい。

執筆:山口 拓二

食のトレンド 平成流通30年史

【平成流通30年史 第1回】
始まりは1995年1月17日午前5時46分

昭和から平成への替わり目に流通業の主役も変わる

1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が逝去し、長きにわたった昭和時代が終わり、翌1月8日から平成時代が始まった。明治と昭和に挟まれた「大正」と同様、「平成」もやや影の薄い時代になるのではないかと思われた。しかし、2019年に幕を閉じる「平成時代」は、予想以上に骨太な時代となった。平成の30年はITが大きく時代を変えたことは間違いない。平成が始まった1989年には、まだ高額な耐久消費財だったパソコンが、いまやスマートフォンとなって多くの日本人のポケットやカバンに入るようになることを、だれが予測しえただろうか。その中で流通業も大きく変わった。今回から10回強にわたり、チェーンストアを中心に流通業の30年の変化を整理してみた。

平成時代の幕は平成2年の「1.57ショック」で開く

昭和30年代以降の日本の小売業は、ダイエーをはじめとするチェーンストアが主導権を握った「量販店の時代」だった。当時はボリュームこそが最重要課題であり、1兆円チェーン一番乗り、売上高2兆円達成など量的なミッションこそがもてはやされた。したがって食品では「満腹感」、衣料品では「バラエティ」が求められるなどシンプルなニーズが主体になっていた。逆の見方をすれば、当時の日本市場は、単純なニーズが主体ゆえに勢いがあったのだ。最近アジア各国の市場が沸騰しているのも、まだ普及率の時代にあり、ニーズがシンプルだからといえる。

そして平成初頭は、昭和の流通業をリードしたダイエーなどの量販店チェーンが、最後の悪あがきを見せることになる。3%の消費税施行から始まった平成時代は、翌平成2年に合計特殊出生率が過去最低となる「1.57ショック」により、少子化=人口減少社会の到来が確実となった。また、平成3年には携帯電話の「mova」のレンタルサービスが始まり、平成4年ごろには、その後のコンビニエンスストアの成長を決定づけた「中食」の増加が顕著になるなど、現在の日本の社会状況の兆しが平成初頭には揃うことになる。

平成初頭にはダイエーが最後の悪あがきを見せる

平成時代の経済状況は、「バブルの沸騰」で始まった。日本の地価は下がらないという土地神話に支えられた日本経済は、平成初頭にピークを迎えたが、以後土地神話の崩壊という質的変化に直面する。これはダイエーでいえば、土地の含み益で資産を増やし、その錬金術で新たな店舗を出店する戦略が破綻したことになる。そのためダイエーでは、土地の含み益経営から売上規模の拡大によって、株式市場での信頼をつなぎとめる方向性を打ち出した。1991年末(平成3年)には、秀和に株式市場で株を買い占められていた忠実屋と資本・業務提携。1994年(平成6年)にはダイエー、忠実屋、ユニードダイエー(九州)、ダイナハ(沖縄)の4社が合併した。この結果95年2月期には、ダイエーの売上高は2兆5,415億円まで拡大した。同時期のイトーヨーカ堂の売上高は1兆5,387億円なので、売上高では1兆円強の差がついている。


ダイエー、イトーヨーカ堂、ジャスコ(当時)の平成初頭の売上高の推移(excel ダウンロード)

しかし、売上は大きくても利益という点では大手GMSチェーンは、平成になってバブル崩壊もあり、厳しい状況になっていた。4社合併後のダイエーの95年2月期の経常利益率は、わずか0.28%で98年2月期には、ついに経常赤字に転落する。99年2月期も0.04%とV字回復とはならなかった。これは1兆円でわずか4億円の経常利益しか稼げなかったということだ。表のようにイトーヨーカ堂は5%弱、ジャスコ(現イオン)は2%前後の経常利益率になっている。なかではイトーヨーカ堂の高利益ぶりが目を引くが、これはこの当時イトーヨーカ堂は、ホールディングカンパニーの役割を果たし、セブンーイレブン・ジャパンから配当があったことが大きく影響している。

そして運命の1995年(平成7年)1月17日になる。同日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生、阪神間を中心に死者6,434人にも達する大惨事となった。このときダイエーの中内功社長は、スーパーマーケットは生活のインフラであり、被害を受けた店舗であっても早急に補修し、被災者の暮らしをサポートしなければならないということで、大震災直後の販売の陣頭指揮を取った。

阪神淡路大震災によってダイエーの退場は10年早まる

中内功氏が最後の輝きを放った1995年1月から約10年後の2004年12月末、ダイエーは4年間だけ存在した国策会社、株式会社産業再生機構へ支援を申し込み実質的に倒産した。1995年2月期に2兆5,415億円と最大の売上を記録したダイエーだが、以後は徐々に売上がダウン、1998年2月期には258億円の経常赤字となった。これ以降中内社長が退陣、味の素社長だった鳥羽薫氏が社長に就任するなど外部の経営感覚の導入を図ったりしたが、巨象を再生させるには至らなかった。2013年には、かつてダイエーを目標に企業規模を拡大してきたイオンの子会社となり、名実ともにダイエーは日本の流通業界から消えることになった。

しかし、ダイエーの小売市場からの退場は、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災による物理的変動を受けて不可避だったかもしれない。まずバブル経済の崩壊で、ダイエーがそれまで成長エンジンとしてきた地価上昇による含み益経営という前提が崩れた。つまりダイエーは、何もなかった場所に自社の大型店を開発、地価を上げることで、安い価格で取得した土地の価値を高め、それを担保に銀行から新たな資金を借り入れて、次の大型店を開発するという循環で企業資産を拡大してきたのだ。そのような含み益経営が、バブル崩壊によって成り立たなくなった。

そして1995年(平成7年)1月17日の阪神間を襲った大地震が、ダイエーのマーケットからの退場を早めたことはいうまでもない。とくにこの地震では、同社が地盤とする神戸市、西宮市、芦屋市などの阪神間が壊滅的な打撃を受けたことが響いた。この地域の店舗のなかには、建て替えを余儀なくされた店舗も多く、それが他地域の改装ローテーションを1回飛ばし、ダイエーの店舗の競争力を殺ぐことになった。2000年代に入ると、日本のGMSの天井高も3メートル強まで高くなったが、ダイエーの店舗は2メートル50センチほどしかなく、買物していても圧迫感は半端ではなかった。

もう一つ阪神淡路大震災がダイエーの退場を加速したのは、オペレーションシステムをはじめとする同社のIT投資をストップしてしまったことがある。1995年当時のダイエーのシステム化は、競合チェーンに比べると大きく立ち遅れており、オペレーションの標準化もままならないという状態になっていた。これでは効率的な店舗運営が出来るわけがない。これは2005年に日本ヒューレッド・パッカードからダイエー社長に転じた樋口泰行氏の述懐でも明らか。同氏によれば、ダイエーではIT投資に積極的ではなかったうえに、IT投資を凍結していた時期もあり、2005年当時、大きなハンデを負っていたということだ。

コープこうべも大震災に直撃される!

阪神淡路大震災は、ダイエーのマーケットからの退場を加速させたことは間違いない。少なくとも10~15年は早くなったはずだ。それだけ大都市で発生した阪神淡路大震災は、復興の過程で都市の構造を大きく変えたのだ。

そのことを垣間見せてくれるのが、ダイエーと並んで兵庫県の食品小売業をリードしてきたコープこうべの凋落だ。地震があった1995年3月期の同生協の供給高は3,426億円だった。それが22年後の2017年3月期は2,389億円までダウン。しかも2011年4月1日には豊中、池田など大阪北部のエリアで展開していた大阪北生協と合併しており、兵庫県だけで考えれば、地震以降22年間でコープこうべの供給高は、1,400億円前後減少したことになる。生協は組合員という特定多数の人を対象に事業を展開しているため、阪神淡路大震災によって組合員が流動化、コミュニティが大きく変わり、購買行動がシュリンクしたことが考えられる。

平成10年代初頭からダウントレンドに入った百貨店、総合スーパーなどの大型店

1991年(平成3年)~1993年(平成5年)のバブル崩壊で始まった平成の日本経済。ただ日本の流通業はバブル崩壊があっても、平成初頭は百貨店、総合スーパーなどは総崩れにはなっていない。それが明らかにダウントレンドに入ってきたのが、1999年(平成11年)ごろから。経済産業省の「商業統計」でもその傾向は明確に見て取れる。百貨店と総合スーパーのピーク年と2007年を比較すると、百貨店は3兆6,615億円、総合スーパーは2兆5,077億円のマイナスとなっている。(なお「商業統計」の直近の調査年は2014年だが、2007年と2014年は調査手法で連続性がないため、表には参考として掲出している。)

しかし、平成時代30年の流通業を俯瞰すると、前半の約10年はまだ大型店の時代であり、百貨店や総合スーパー(GMS)が買物の場として一定の評価を得ていた。それがロードサイド小売業が進化したり、3,000台、4,000台の大型駐車場を備えた大型のリージョナル・ショッピングセンター(RSC)が増加することによって、百貨店やGMSの相対的価値が低下したのだ。


「商業統計」業態別販売高(excel ダウンロード)

そしてもう一つ日本の小売業の変化のポイントは、2000年代に入って総合店から専門店の時代になってきたこと。スーパーマーケットでは、総合スーパーが徐々にジリ貧になっていったのに対して、食品に特化した食料品スーパーが堅調な推移となっている。また平成時代中盤からは、コンビニエンスストアの成長が本格化するとともに、業種店の薬局から、業態店のドラッグストアへの転換が加速、DgS業態の売上が拡大してきた。これらに加えて家電量販店が、IT家電の普及を機に売上で優位に立ち、ユニクロなどのカジュアル衣料専門店が急成長。百貨店や総合スーパーなど何でも品揃えしている総合店の売上が専門店に侵食されるようになってきた。

大手CVSチェーンが相次いで総合商社傘下に入る

総合店から専門店への売上のシフトを象徴するのが、1988年(平成10年)2月のファミリーマート株の伊藤忠商事への売却、2000年(平成12年)1月のダイエーによるローソン株の三菱商事への売却だ。

西友はバブル期に、東京シティファイナンスなどのノンバンクが巨額の不良債権を抱え,にっちもさっちもいかない状況に陥っていた。その債務超過解消のため、西友は伊藤忠商事にファミリーマート株を売却、コンビニ事業から撤退した。その際、堤清二会長は「どうして西友を売却して、不良債権を処理しないのか」と疑問を呈したが、西友を売ろうとしても国内では誰も手を出さない状況になってしまっていた。したがって2002年(平成14年)3月に住友商事が仲介して、西友がウォルマートと包括的業務・資本提携を締結したのは、今となっては大変な荒技だった。

ローソンの三菱商事への売却もノンバンクによる借入か、事業会社による借入金増大かという事情の違いはあれ、同じような債務超過解消をめざすという意味では同じである。ダイエーがローソン株を売却した2000年1月頃は、バブル崩壊後の株安が、ミニITバブルによってかなり持ち直した時期だったが、それでも当時ダイエーが借りまくって積みあがった2兆円の借入金を解消するには至らなかった。こうして平成流通史の中盤に至って、いま流通業を主導するCVSチェーンの上位3社のうち、2社までが商社資本に支配されることになったのだ。

執筆:山口 拓二

食のトレンド文庫「スーパーマーケットの食トレンド」むかしはいまの物語

【スーパーマーケットのマーケティング事始 第18回】
CVS新時代の業態としてのあり方と需要開発の方向性

CVS業態は3強時代に突入

日本にコンビニが登場して以来40年以上が経過、その業態規模はいまや11兆円を超え、存在感は増すばかりだ。人口規模からスーパーマーケットが出店できないローカルエリアにもコンビニが出店、その地域にとってはなくてはならないインフラとなっている。逆に最近では「この辺りはコンビニさえなくて」というのがローカル性を自虐する言葉になっているほどだ。

そのCVS業態に2016年から2017年にかけて大きな動きがあった。一つは16年3月にミスターコンビニといわれ、CVS業態の成長を主導した鈴木敏文氏がセブン&アイHDの代表取締役(CEO)を退任したこと。その影響はまだ顕著に表れているわけではないが、セブン-イレブンの方向性がいずれブレるのではないかと見る向きも多い。

二つ目の動きはファミリーマートが、サークルKサンクスと経営統合するためにユニーグループHDと合併、ユニー・ファミリーマートHDとなったこと。この結果、新生ファミリーマートの店舗数はセブン-イレブンに肉迫、17年2月期には全店舗売上高も3兆円を超えてきた。ファミリーマートに刺激され、もう一つの大手チェーンであるローソンは首都圏のスリーエフ、中国地方中心のポプラ、北関東のセーブオンなど中堅CVSチェーンを取り込むことによって上位2社を必死に追い上げようとしている。

しかし、CVS3強といっても実際には3チェーンの差は大きい。17年2月期の全店舗売上高では、トップのセブン-イレブンが4兆5,156億円、約1兆5,000億円差の3兆93億円でファミリーマートが2位、さらにファミマと約1兆円差の2兆275億円でローソンが続いている。この3社とも凄い売上ボリュームだが、マラソン競技でいえば、セブン-イレブンが40km付近まで先行しているのに対して、ファミリーマートは30km地点、ローソンは20km地点とほぼ逆転が不可能な差がついている。

しかも象徴的なのは、直近10年の全店舗売上高の推移。セブン-イレブンは、ここ数年の年間1,000店舗を超える純増店舗数効果から、過去10年で全店舗売上高が1兆9,412億円増加した。これは率にすると75.4%増となる。それに対してローソンは44.5%増えて2兆円台に乗せてきたが、増加額は6,247億円にとどまっている。ファミリーマートは数字の上では1兆8,965億円増えて2.7倍増の3兆円乗せとなったが、これはエーエム・ピーエム、ココストア、エブリワン、サークルKサンクスなどの吸収合併があったため。それらのチェーンの全店舗売上高も含めて計算すると実質的には35.9%増とセブン-イレブンの半分程度の伸びとなっている。

このように見てくると、現在はCVSの3強時代に入ったといわれるが、それはかなり便宜的なとらえ方であり、より正確に分析すればCVS業態は「1強プラス2時代」になっているというほうがより正確だ。

モデルフォーマットを作り上げたチェーンが残った

日本にCVS業態が本格的に登場して以来、40年強経過した。言い換えればネイティブのCVS世代も40代に入ってきたということである。この40年余の間にさまざまなコンビニチェーンが出現したが、ここへきて急速に集約されてきていることは冒頭でも触れた通りである。その要因はCVS業態は、食品主体の小売業であっても、SM業態と違ってシステム産業の側面が強いという事情がある。

例えばCVS業態が本格的に成長を始めた1980年代にセブン-イレブンが取り組んだ卸や総菜製造業者のベンダーへの転換にしても、店舗数がある程度まとまっているうえに、今後も出店増が期待できるからこそ既存食品卸・雑貨卸は、ベンダー型配送設備を整えるための先行投資を受け入れたのだ。まして当時はまだ現在ほどの需要がなかった総菜ベンダーにしてみれば、仮に出身母体が食品メーカーであれ、総菜製造業であれ、思い切った決断が必要だった。ただそのようなリスクを取ってCVS業態の成長に賭けたからこそ、わらべや日洋のように売上高が2,143億円(17年2月期)まで拡大、押しも押されもせぬデリの大企業になったところもある。

コンビニエンスストアまた税金や公共料金をはじめとする各種料金収納サービス、宅配便の扱いなどコンビニのサービスメニューは数多い。今となってはこのようなサービスは、あって当たり前になっているが、てきぱきとオペレーションするためにはPOSレジスターのソフト開発が必要で、後発の小規模チェーンほどその投資負担感が大きくなる。

つまりCVS業態は、先行するセブン-イレブンが、品揃えの基本からオペレーションするための情報システムまでを組み立て、そのような基本フォーマットをベースに二番手以下のチェーンが追随して成立した業態であり、先行チェーン=セブン-イレブンが圧倒的優位に立ってきたのだ。これは換言すれば、CVS業態を作り上げたセブン-イレブンに売上および利益が集中、二番手以下のチェーンはセブン-イレブンのおこぼれに与っていただけに過ぎないともいえる。実際、セブン-イレブンとファミリーマート、ローソンの平均日販には10万円以上の差がついているし、年間の経常利益も17年2月期でセブン-イレブンの2,512億円に対して、ファミリーマートは480億円、ローソンは564億円と格段の違いとなっている。つまりセブン-イレブンが作り上げたCVSフォーマットによって、セブン-イレブンが最大の利益を享受しているのだ。

ローカルコンビニモデルを作り上げたセコマ

セブン-イレブンとは全店舗売上高は、ヒトケタ違うが北海道のローカルコンビニチェーンとして成功したのがセコマ(旧セイコーマート)だ。北海道ではセブン-イレブンもセコマの後塵を拝しており、北海道人にとってはコンビニエンスストアといえば「セコマ」ということになる。

ところでセコマと並んで中堅コンビニとして独自の成長をめざしたチェーンに広島のポプラ、神奈川のスリーエフなどがあった。これらのチェーンに共通しているのは、出店地域を限定しローカルコンビニの方向性を取ったこと。また大手チェーンに出来ないサービス、例えば弁当では店舗で炊飯した温かいご飯をサーブしてストアロイヤルティを上げようとした。

セイコーマートその狙いは間違っていなかったが、結果は芳しいものではなかった。その一つローカルコンビニという方向性では、北海道という特殊商圏を主戦場としたセコマ以外は、店舗展開に焦れば焦るほどローカリティが薄れてしまった。広島から展開が始まったポプラは中国地方、四国、九州北部、近畿などでドミナント出店をめざした。ここまでなら西日本のリージョナルCVSチェーンということになるが、同社は高島屋のCVS業態「生活彩家」を買収して東京にも進出して以降、広く薄く各地に店舗を張り付ける「ヘソ」のないチェーンになってしまった。スリーエフの場合は、900万人に近い神奈川県の人口ポテンシャルを信じ切れず東京、埼玉、千葉へも出店地域を拡大した結果、力が分散し本来の地盤である神奈川県でも大手CVSチェーンとの競合に埋没することになった。

弁当に温かいご飯を詰めるといった独自サービスも、セコマは総菜をより強化したり、イートインコーナーを整備してその場で食べられるようにするなどサービス機能を充実することで、若年単身者のロイヤルティをアップすることに成功したが、ポプラとスリーエフは店舗のブラッシュアップができなかった。

しかもセコマは、いち早く一部生鮮食品なども扱うことで、店舗密度が低い北海道の特殊性に合わせ、ミニスーパー機能も併せ持ち、若い単身者からシニア層まで幅広い年代の顧客に支持されるコンビニに成長していったのだ。つまりセコマもまた独自のコンビニモデルを開発「セコマはさまざまなシーンで使える」という評価を得て成長を続けているのだ。最近はフードサービス機能を充実させ、それを別入口にした新フォーマットの実験に乗り出している。

CVS業態の今後の方向性および可能性

CVS業態の売上ボリュームは、経済産業省の「2016年度商業動態統計調査年報」によれば、サービスを含む全売上高は11兆4,456億円、商品販売額は10兆円8,246億円まで拡大してきた。これは日本の小売業販売額の約1割近くになる。ただCVS業態の存在感の高さは、この売上ボリュームだけではなく、日本人の暮らしのすみずみにまで浸透してきたことが大きい。食品・雑貨の購入に始まり、公共料金(税金)の払い込み、宅配便の申し込み、コンサートチケットの購入など利用範囲は多岐にわたっている。したがってもし閉店ということになれば、スーパーマーケットがなくなるよりも影響は大きいかもしれない。

また冒頭でも触れた通り、いまやコンビニは全国津々浦々にまで広がっており、コンビニがある地域とない地域では生活の利便性は大きく違う。そのため人口が少なくてCVSチェーンが出店をためらっている過疎地区では自治体が補助金を出して、コンビニの出店を誘致しているケースもある。

ではここまで大きくなったCVS業態の今後の方向性およびポテンシャルはあるのだろうか。店舗数は17年2月現在、3強以下13チェーン合計で5万8,089店舗まで増えてきており、これからはそれほど増える余地はなさそうだ。セブン-イレブンはまだ強気の出店姿勢を崩していないが、最近はリロケーション店舗も増えており、年間出店数は1,000店舗を割り込むようになっている。またファミリーマートと経営統合したサークルKサンクスの店舗は、かなりスクラップされる予定。それ以外にも日販額の大きいセブン-イレブンの出店が増えれば増えるほど、競合に負けたチェーンの店舗の閉店も予想されるため、コンビニの出店はいよいよゼロサムトレンドに入りつつある。

コンビニ店内しかし、コンビニにとって追い風になりそうな側面もある。それは高齢化がさらに進行し、住まいに近いコンビニの利用価値が高まりそうなこと。年金生活者の懐事情に配慮して値ごろ感の高い食事メニュー(商品)を開発できればシニア層の買物の場としての存在感は高まりそうだ。またセブン-イレブンがセイノーと組んで強化に乗り出した宅配も今後はかなり売上増が期待できそうだ。とくに地方では、簡単に出前を取ることもできないので、セブンミールの弁当をはじめとする同店の宅配は利用が増えそうだ。もちろん店舗からの宅配については、ファミリーマートやローソンなども取り組んでいるし、最近はローカルスーパーも電話やFAXで受注、宅配しておりシニア層をめぐる競合は激化している。

もう一つこれからコンビニで期待されるのは、有機食品やナチュラル食品を強化した健康志向の高い店舗フォーマットの開発だ。ローソンでは低糖質のブランパンが予想以上のヒットになるなど健康への関心は根強いものがあり、やりようによっては可能性が大きい。

この健康系コンビニの展開に関しては「ナチュラルローソン」が有名だ。2001年に事業展開が始まった同店は、16年後の17年2月期には141店舗まで増えている。しかし、ナチュラルローソンの展開は、やや慎重すぎるきらいがある。ローソンではターゲットである若い女性が多いオフィス街などから始まり、調剤薬局とのコラボ店舗や駅構内立地、病院内立地の店舗などを出店してきたが、16年間で141店舗というのはコンビニとしては、ゆっくり過ぎる。それだけローソンがナチュラルローソンフォーマットを大事にしており、需要が高そうな商圏に厳選して出店しているということかもしれない。

ただ健康系コンビニの展開では特定エリアにドミナント展開し、そのエリアで健康ニーズを活性化させて、健康系コンビニの定着を図るといった方法もあったはず。ローソンとしては、ここまでナチュラルイメージを作り上げてきただけに、東京の城南地区などを中心に1,000店舗規模のナチュラルローソンのドミナント化を実現、上位2チェーンに一矢を報いたいものだ。

執筆:山口 拓二

第19回<予定>「デザートからスイーツに変化するスーパーマーケットのおやつ売場」

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